ひとこと板





合掌 立春の候 上総七面山檀信徒皆様方にはご健勝のこととお慶び申し上げます。
この度2月3日、有縁各上人出仕のもと節分会を無事に奉行致しました。

澡浴塵穢 着新浄衣 内外倶浄 安処法座(水行のお経です)

塵(ちり)に穢(けが)れた体を洗い清め、浄(きよ)められた衣服を新たにまとい

身体の内外倶(とも)に浄らかになり、説教を聞く人々の集まりである法座にゆったりと座る。


皆様が授かる、御札、お守りは、木、又は紙でしかありません。

我々修行僧が、皆様が願い、気を入れ、魂を入れることに依って、新たかな御札、お守りとなります。
自分の身の纏が、古く、汚く、穢れていたらどうでしょう? 
御札も自身の身体と思い、時に新調し、供える場所を綺麗にしてお祀りを致しましょう。
同納の福菓子、御奉納のお菓子は、皆様でお分けになり本年の福禄を頂いて下さい。
ご来山を心よりお待ちして居ります。
合掌





陽春の候 本年の七面山大祭は荒行を経た各聖僧名をお迎えして、山頂七面堂に於て午前十時より午後二時の間

参詣の方々は随時御開帳、御祈祷を受けて頂き厳修致しました。

境内は遅咲きのサクラが舞い振り、春の草花、山草が皆様を迎えてくれました。

「現無量神力」 

無量の神力を現じ給う。七面大明神さまは、法華経の教えをたもつ私たちを必ずお護りくださると説かれます。

法華経の教え、心穏やかに他を認め、現代(いま)を素直に受けとめる心を養い、南無妙法蓮華経を

口に身に心に唱え、ご加護を戴きましょう。

各方面よりの御奉納、供物献納されました皆様に心より御礼を申し上げます。

無事安泰をご祈念させて頂きました、またのご来山をお待ちして居ります。
合掌






昨年に続き、コロナ禍の節分会となりましたが、皆様のお陰様をもちまして無事に奉行出来ました。
朝10時より来られた方々に随時御祈祷をさせて頂き、18座程の御祈祷を致しました。
1人で来られる方、お誘い同士で来られる方、偶然一緒に来られた方・・・
それぞれの方が、本年の無事を心に御祈祷をお受けになって行きました。

六根清浄

清らかな、清々しい気持ちでお帰り頂き、皆様の本年が穏やかで、輝かしい一年で
ありますこと、心より御祈念申し上げます。
諸用等にて来山出来ませんでした皆様、またの七面山へのご参拝お待ちして居ります。

合掌






陽春の候 本年の七面山大祭は荒行を経た各聖僧名をお迎えして、山頂七面堂に於て午前十時より午後二時の間

参詣の方々は随時御開帳、御祈祷を受けて頂き厳修致しました。

境内は遅咲きのサクラが舞い振り、春の草花、山草が皆様を迎えてくれました。この様な日々の中ではありますが

何時も自然だけは、私たちの心を楽しませてくれています。


〃夫れ国は法に依って昌へ(さかえ)法は人に依って貴し

              国亡び人滅せば仏を誰か崇(あが)むべき法を誰か信ずべけんや

                    先(まず)国家を祈りて須く仏法を立つべし〃 「立正安国論」


人々の正しい信仰の心で国は栄えて行き、国土が安穏だからこそ天人、人間が栄え此の国土を護って戴ける。

その国が亡び、人が居なくなってしまえば、誰が正しい教えを崇め信じるのであろうか。


私たちが暮らす今生、穏やかであって欲しいと願う仏の教え。とは言え私たちの心は常に仏さまの様な心以ちでは
いられません。

少しでも穏やかな心を感じとり、感謝をする気持ちを身に付ける事が大事ではないでしょうか。

「我此土安穏 天人常充満」国土の成仏(安泰)なくして、私たちの住まわせて頂いている国の安穏はありません。

私たちは遠く過去より、必ず自然と国土に感謝をしてきた民族です。個々の幸せも大事でありますが、時に国土の成仏(安泰)を願い

南無妙法蓮華経を口に身に心に唱え、感謝の心を捧げましょう。

各方面よりの御奉納、供物献納されました皆様に心より御礼を申し上げます。無事安泰をご祈念させて頂きました。

くれぐれもお身体ご自愛にてお過ごし頂きます様、またのご来山をお待ちして居ります。

合掌


コロナに打ち勝つ! コロナに負けるな! コロナを撲滅!

このような事を言っている方もいますが、残念ながら、戦い、争うは仏教、ほとけの教えではありません。

そんなに人間だけが偉く、強く、傲慢なものではなりません。

あくまでも、共存、共有と相手(他)を認める教えです。

今までも沢山のウイルスと共に私たちは生きて来ました。

そして、今後何十年、何百年も共に生きて行かなくてはいけないのです。

私たち自身を含め、子供、孫・・・・の代まで共にです。

その様なことを考え、知恵を頂く事が今(いま)の私たちのお役目です。

本来の人間らしい生き方、人間としての暮らし、大切な人生生活を送りましょう。

合掌




立春の候 上総七面山檀信徒皆様方にはご健勝のこととお慶び申し上げます。
この度2月3日、信徒会館に於いて昨今の現状を鑑み例年通りとはいかない節分会とはなりましたが
有縁各上人出仕のもと皆様のご祈願を一心にさせて頂き奉行致しました。

様々な不安が尽きる事の無い日々でありますが、発生以来一年半年を経ますので少しずつ光を仰ぎ日々を送りましょう。

〃 蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり
           身の財(たから)よりも心の財第一なり 〃

(蔵に所蔵してある財宝よりも、身体が健康である事が大切である。
                             身体の健康よりも心が豊かである事が一番の宝である。)

皆様には心に、天の恵み(お日様、お月様、天候)、地の恵み(土壌、植物、穀物)人の恵み(人様とのご縁、人との調和)に
まず感謝することの原点に還っていただき、明日への希望を以ちながら日々の生活に励んで頂きたいと思います。

今回は福豆撒きが出来ませんでしたので、同納の福菓子を皆様でお分けになって本年の福禄を頂いて下さい。
一日も早く穏やかな日になりますこと、皆様のご活躍を寺族一同、七面山より日々祈って居ります。





739年前の10月13日、池上の地で日蓮大聖人が61歳でお亡くなりになりました。
御影供、御命講などとも云いますが、大聖人を偲んで大法要を厳修すること
「法会の儀式」を略した言葉を、御会式(おえしき)と呼びます。
当山は11月16日に、お檀家一同でお題目を唱え御会式を行いました。
この様な世の中の状況でしたので、代表の方々での法要となりましたが
無事に毎年の行事が恙なく出来た事、日頃のお付き合いが当たり前だった
お檀家さん達と久しぶりに顔を合わせた悦びを改めて有難い事だと共有しました。

私たちは、目に見えないものに縋り、目に見えないモノを恐るる
目に見えないからこそ、目に見えないものだからこそ、尊いことがあるのではないでしょうか?
それは私たち人間の心次第です。今を真っ直ぐ受けとめ
時に、立ち止まる勇気。時に、顧みる慎ましさを備え、希望を以て歩いて行きましょう。
その心に 南無妙法蓮華経です。




元号が変わり、初めての節分会を無事終えることが出来ました。
平日ということもありましたが、それでも100名以上の参拝を頂き
晴天に恵まれ、盛大に、厳粛に、和やかなるなか行われました。

年間祈願者札、特別祈願者札、交通安全札・・・約400体のお札
大寒の水行始めと共に、皆様の心願を込めながら筆を入れさせてもらいました。

自身が皆様の心願を背負うという大きな責任を
一心に拝み、神仏に自身も縋ることで安心を戴きます。

家族、親、子供、仕事、生活、そして自分自身
皆様には必ず背負うものがあります。
しかし背負うことは、人としての限界があります。
そこからは、神仏に縋る心を持つのです。
善い結果、思わぬ結果、直ぐには現れない結果、様々な結果があるでしょう。
それは神仏に依るものであり、目の前の事柄を素直に観つめ
受け入れるという、心を宿すことも大事かと思います。

あらゆる物の発達のお陰で、私たちは現代(いま)沢山の様々な情報の社会の中に居ます。
昨今のニュースである感染ウイルス。大変な事態になっています。
これからもまだまだ、長く続くことと思います。

50センチ四方(今はもっと大きいですが・・・)の映像から垂れ流されている
映像に振り回されることなく、偏った情報を記した紙面に踊らされることなく
自分の感覚を以て、 偏った映像、誤った情報に心乱れされることなく
正確なる対応、自分が出来る事を心掛けましょう。

皆様が備え似ってる、仏眼で・・・

受け止める側も必要なものがあると云うことです。

ご参拝の皆様、祈願者の皆様の本年のご活躍を祈念申し上げます。

4月の大祭にお待ちして居ります。
合掌






晴天に恵まれ、また日曜日と云いう事で、大勢の皆様と共に節分会を厳修しました。
毎年大寒より日々水行を取りながら、皆様の心願を御札に書かせてもらってます。
この方の本年の心願は・・・
ここの子供さんは、もう厄年になったのか・・・
子供守りを授与していたのに、運転をする歳に・・・
自身も年男か・・・などと
その年の皆様の御祈願内容の変化を想いながら節分会に向かいます。

お正月はご先祖に安泰を祈り、節分には個々の運気上昇を願います。

祈り

いのり

イノリ


色々な意味合いの説があります。

ひとつに、息が乗る(イキガノル)

息を通して願う
呼吸をしながら一生懸命願う
人との会話を通して学び願う

一人だけでの祈りには限界があります。
他人様のお力も借りながら神仏に祈り願うのです。

文明、化学、技術の発展を成し、人々が偉く成った現代でも
私達の個々の力には限りがあります。
私達の生涯で出逢う方の人数も限られます。

天の恵み 地の恵み、人の恵み

燦々と暖かな陽を照らす太陽、優しさの光を与えてくれる月の光
しっかりとした作物を育てあげる、大いなる大地の恵みに感謝し
限られた力、限られたふれあいの中、限られた範囲の中で
何気に耳を傾け、敏感に人の振る舞いを観て、善き事を自身に取り入れることが
運気を上げる秘法ではないでしょうか。
個の自身の力では出来得ない何かを成せるのかもしれません。


本年も皆様、ご活躍にて輝かしい一年でありますことを心よりご祈念申し上げます。

4月大祭のご参拝お待ち申し上げます。
合掌




〃日蓮は少き(わかき)より 今生の祈りなし

ただ、仏に成らんと思うばかりなり〃四条金吾殿への手紙)

日蓮は、若き時より、今生の祈り全くなく、ただ仏に成ることを思うばかりである。


日蓮大聖人は、今生の願いは全くなく、ただただ仏に成ることを願ってやまなかったのです。
仏の第一の願いである「仏法を一人でも多くの人に弘めたい」一人でも多くの人々に仏法を弘め、心をおさめよと。
仏の教えは、理解し難しく入り難い(難解難入)とありますが、その難しさの裏には簡単で易しい事が示されます。
それは、我々の心が穏やかで有って欲しいと願ったのもが仏の教えになります。
しかし私達は何時も仏さまの様なまた、お爺ちゃんお婆ちゃんの様に穏やかな心持ちでは居られません。
時に喜び、笑い、謳歌して時には、怒り、嘆き、悲しみと、喜怒哀楽を以て人それぞれの人間らしさが確立されます。
それで善いのです。「穏やかなる心」。生きて往く私達凡夫にとって、一番難しい仏さまの教えかもしれません。

私達は今生の願い(祈り)を叶えようとしますが、その前に自身を見つめ直し、
如何なる事も思い通りに行かない現在(いま)を受け止め、おさめる心を養うことが法華経信仰に繋がるのです。

南無妙法蓮華経を口で心で身に唱えている、一瞬だけでも穏やかなる心でありたいものです。
各方面ご遠方よりご来山の皆様、供物奉納を献納されました皆様、心より御礼申し上げます。
ご来山できなかった皆様には誠に残念でございましたが、本年の無事安泰をご祈念致させて頂きました。

本年も皆様、益々ご健勝にてご活躍下さい。

合掌




〃月は山よりいでゝ山をてらす。 災いは口よりいでゝ身をやぶる。 幸いは心よりいでゝ我をかざる〃 

須殿女房御返事(重須女房への手紙)


当たり前の事ではあるが、月の夜は自然と月が山を照らす。
また、おしゃべりより災いを引き起こし身を滅ぼすこともあるので口は慎まねばならない。
それに対し、心持ちを良くすれば幸いを招き寄せ、身を栄えさせることが出来るので
心根を善く持つことに努めなければならない。



私達は決して自身のみで生きて行くことは出来ません。出来る事のないものであります。
その中で生きて行くには、他を認める心が必要になるかと思います。
日本語ほど複雑で難しく、豊かで表現性のある言葉はありません。
何気ないその一言で失敗し、後悔し、他と粗縁になることがあり。
またその一言で救われ、助けられ、考え方が変わり、心持ちが良くなることもあります。

価値観、人生観、生き方、考え方の違う方(家族も含め)との毎日です。
相手を、そして、他を認める事から始めたらどうでしょう。

「認」、言葉を忍ぶと書きます。
自分の言葉を少しだけ慎む事に依って、相手の心を感じるとる事が出来るのではないでしょうか。

南無妙法蓮華経を口で心で身に唱え、穏やかなる心を授かりましょう。

各方面ご遠方よりご来山の皆様、供物奉納を献納されました皆様、心より御礼申し上げます。
ご来山できなかった皆様には誠に残念でございましたが、本年の家内安全、身体健全をご祈念致しましたので
ご報告させて頂きます。皆様、本年もご健勝にて益々ご活躍下さい。
合掌




暦は立春でしたが、朝から雪がぱらつく寒い日でした
そんな中、沢山の参拝を頂き、節分会が厳修できました。
お正月は、一年の豊富、感謝を報告に、家族一同でお墓参り
また、地元の氏神さまを参拝をさせて頂きます。
節分明けには、個々の運気(星)が変化します。良い年、衰運の年と
様々ですが、自身の運気が少しでも上昇することに願を掛け
心に誓う日(区切り)が節分となります。


天の恵み(神仏) 地の恵み(大地の作物) 人の恵み(人との仏縁)

この三つを感謝を以って、自身に備える事が大切になります。

参拝された皆様が今年一年、心穏やかに、輝かしい、ご活躍の
一年である事を、心よりご祈念させて頂きます。

4月19日の大祭には、信徒会館のお披露目もございます。
またのご参拝お待ちして居ります。
合掌




合掌 七面山檀信徒皆様におかれましては益々ご清祥、ご活躍のこととご拝察申し上げます。
また日頃より当山への温かいご厚情を戴き誠に有難うございます。
さて、境内に建てられて居ります当山の客殿も 築二百余年を数え、老朽化が著しく成って参りました。
ご承知の通り近年、七面山行事の参拝者も増えまして客殿が手狭に成って参りました。
そこでこの度、檀家一同のご理解とご協力を賜り、時期は「今」と志を堅固に致しまして
信徒会館"七面会堂"(仮称)を建設する運びに至りました。
当山の長い年月の歴史を顧みますと、今までの歴代上人、檀信徒皆様の護持丹精のご苦労があり
特には先代住職時代、修繕をしながら護られたことを考えますと感慨無量であり、身に沁みる思いであります。
本年の大祭後に着工します山門より観える客殿 今日までお経を読み お題目を唱え 皆様方と供養法要の場所として
時に遊び場として 参拝後のお茶を飲み ひと時の憩いを感じ 時には参籠した時代もありと それぞれの方々の
心に思い出を刻まれた客殿も この大祭行事を以って私達の瞼より最後と成ります
節分会にご案内をさせて頂きました処 お陰様をもちまして早速に有難い御浄財を頂戴致しました
この度御浄財を下さった皆様には心から御礼を申し上げますとともに これより御心を頂ける皆様方に
ありましては 甚深のお願いを申し上げます
ご信者信徒の皆様には、何かとご出費多端の折から大変なご苦労とは思いますが、日頃より信仰篤き皆様
上総七面山に仏縁を結びました一人でも多くの方々にご協力を頂き、事業円成を致したく、浄財御寄付
賜りたく伏して心よりお願い申し上げます。   再拝

一、壱口     10000円

一、工期予定 平成27年大祭後より平成28年3月


お振込みの方は

ゆうちょ銀行
記号 10520
番号 90004771
店番 058
普通 9000477
口座名義 長福寺

何卒 宜しくお願いします





〃仏法は体の如し 世間は影の如し 体曲がれば 影斜めなり〃

世の中がおかしいのは 人々の行いがおかしいからである 私達の行動は世間と同体である
それほど私達自身 ひとつの行いは大事であるのだよ  と日蓮聖人はお言葉で述べて居ります


おかしな天候 おかしな暮らし おかしな報道 可笑しな人々 可笑しな・・・おかしな世の中に成って参りました
何が事実で何が真実 何が本当で何が嘘 何が正義で何が悪 何が良くて何が悪いのか 
私達は心眼を以って現代の社会と付き合って生きて行かなくてはなりません
私達の心は〃思い通りに行かない〃時ほど 怒り 苦しみ 迷いが生じます
仏典では この世は思い通りに行くものではないと云うところから教えが始まります
生涯 思い通りの人生を送られた方は一人として居ないわけであり 寧ろ思い通りに行かない人生を何処まで
心を穏やかにして過ごすかと云うことが 私達に与えられた修行ではないでしょうか 
一歩引いて世間を見てみましょう  何を観じますか
南無妙法蓮華経を口で心で身に唱え穏やかなる心を授かりましょう


行事と云うものは来て下さる皆様があってだと思って居ります
またのご来山心より お待ちして居ります
合掌




少し肌寒い日と成りましたが 本年も盛大に大祭を奉行できました
土曜日ということもあり沢山のお参りの方が山頂七面山に参詣致しました

昨年の11月よりの百日間 16年ぶりの荒行ということで不安と戸惑いも多くありましたが
改めて七面山信徒の皆様のお蔭であり 有縁の方々の支えであることを考えさせてもらい
多くの信徒の皆様に感謝の念を捧げるつもりで読誦祈念の法要をさせて頂きました

 
〃法華経を信ずる者は冬の如し 冬は必ず春となる〃
〃柔和忍辱の心〃


人は耐え忍ぶことが難しいものです これを仏教では忍辱と云います
苦の娑婆であるこの世 この現世で耐え忍ぶことが多い人程
忍耐の積み重ねが多い人程 人としての深み 人間味が増すのではないでしょうか

我慢と忍耐は違います 我慢はただ己の執着であり 慢心の心の多さであります
忍耐とは 現実を素直に観つめ 逸らすことなく受け入れることです
皆様 自身を驕ることなく 慎ましく生きましょう
心身疲れた時には南無妙法蓮華経を口で心で身に唱え穏やかなる心を授かりましょう

またのご来山お待ちして居ります
合掌





経に曰く 「遊於娑婆世界・・・」
私たちは、この世に少しの間だけ(寿命)遊びに来ています。
人生は儚く、一時の夢のように、またたくまに過ぎて行きます。
”現在(いま)を生きる”ということ
心の遊び、時間(とき)を楽しむ遊び、自然を感じる遊び・・・
いま一度、そのようなことを考え、上手に遊ぶ心を以って、
この世の中と付き合ってみて下さい。 
合掌






徒然草の兼好法師は「運は日にあらず人なり」と云われました。
運を左右するのは、大安、仏滅とか、何年生まれで全てが決まるものではなく
その人の性格が左右するものです。明るく楽天的な人に運はやって来るものです。
つまり「運は人なり」 蜘蛛の巣のように平素から幅広く人付き合いをしている人には
いつしか思いがけない幸運に巡り会います。
「運は日にあらず人なり」
人との巡り会いを大切にして頂き、良き仏縁を頂きましょう。
合掌






円窓(えんそう)   円の景色を楽しみ 円に真理を求める窓

茶室などにみられる丸い窓は、デザインの美しさだけの物でなく
深い意味があるそうです。始まりも終わりもなく、余ることもなく
足りないこともない円は、禅の世界では無限の宇宙であり、人々に
悟りの心を宿す、絶対的なものだと云われているそうです。

円(えん)の同音に、縁(えん)があります。
私たちは、縁によって人生を歩み、縁によって成長して行きます。
自分にとって、良いと思う縁、悪いと思う縁があります。
それは、前世からの約束(因縁)であり、現在(いま)の自分に
一生のうちに出会う方が、前世より決められているのです。
ですから、逢うべき人と逢い、出会うべき人と出会うのです。
それを私たちは、”仏縁”と云います。
この仏縁を、自分の生きて行く人生の中で、少しでも成長の糧に
なるように、良き方向に捉え、精進して行くことが大事でしょう。
命ある限り、いつまでも終わることがない仏道修行であります。
有難い仏縁を結んで頂き、多くの方と、右の手、左の手を取り合い
法華経の心、法華経の教えを感じて行きましょう。
合掌






通達大智 到於彼岸

「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますが、春秋のお中日を境に少しずつ気候が変わって行きます。
これは我が国、日本に四季という春夏秋冬の季節があり、私達の心と身体を楽しませてくれる
素晴らしい自然の恵みが沢山あるのです。
 春分の日、秋分の日を中心に前後7日間を”お彼岸”と云います。
此岸(私達の住む迷いの世界)から、彼岸(仏さまの悟りの世界)に少しでも皆様の心が近づける
ように、仏道修行に励み、ご先祖様に感謝して、自分を省みる期間にしたいものです。

布施・・・慈悲の心をたもち 広く他への施しをすること
持戒・・・仏さま 自分自身の約束を守ること
忍辱・・・恨み 妬みの心を起こさず耐え忍ぶこと
精進・・・仏さまの道を怠らず 日々精進努力するこ
禅定・・・心を静かに 穏やかにとどめ安定すること
知慧・・・真実(正しい)仏の知恵を働かせること

以上を仏教語で六波羅蜜(六度)と云います。
(難しく思えますが、基本的には他人(ひと)への思いやりの心をもつこと)

お彼岸の中日は太陽が真東から昇り、真西へ沈み、昼と夜の長さが同じです。
仏さまは、おっしゃっています。「”中道”を歩むようにと」
右でも左でもなく、極端な行動、言動、考えよりも、手と手を合わせた時の様に
真ん中の道を歩き、生きて行くことこそが私達の修行であることを。
少しでも、仏さまの御心に近づけるような穏やかな日々を送りたいものです。
合掌





本年も各方面より沢山の皆様と共に
厳粛に 楽しく 有難く 大祭を終えることが出来ました
手を合わせ、一心にご祈願をしている皆様の姿を観てますと
本当に昨今のTVニュースの様な悪い世の中なのかと
疑ってしまうくらいであります

蔵の宝よりも 身のたから すぐれたり
身の宝よりも 心の宝 第一なり

いつの日も私達は心次第の日々を送っています
常日頃は 感情を豊かに 笑い 喜び 嬉しきことあり
怒りて 悔やみ 泣き 悲しみ 憂いがあり・・・喜怒哀楽
だからこそ、手を合わせている時だけでも
素直に 心穏やかで ありたいものです

当日は色々な方々と触れ合い 気を分けあいました
皆様の益々のご活躍を祈念申し上げております
またの ご来山 お待ちしています
合掌





本年の大祭は、朝方嵐のような雨と風と雷でしたが
お陰様で少しずつ天候も回復し、とても良い天気の中、
各方面、沢山のお参りの方々と法要をすることができました。
ご案内にも書きましたように、先日の大地震がありましたので
今年の大祭は、「心を一つに」をテーマとして執り行いました。
今、私達は何をすべきか、何ができるか、自問自答を繰り返し
自分自信を見つめることが、大切のように思えます。
何かを大きく変えることもなく、何か大きな事を考えるのでなく
自分の身のまわりに、少しでも無駄のないことを心がけ
ごくごく、普通の生活を送ることも大切ではないでしょうか。

「自我」を捨てて悟りを開く修行もありますが、
法華経の教えは「自」「我」「自身」であります。
「自らが何をすべきか、何をするか、何をしたか」
自分のことだけ・・・ではなく、自分自身の考え、行動、振る舞いが
色々なところ、沢山の方々に繋がるのだよ。と云うことです。

私達、皆さん一人一人、一つ一つの行動・・・大事なのです。
仏さまの教えを心に戴き、自らの行いを大切にしましょう。

またのお参り、お待ちしています。
合掌





本年は天候にも恵まれ、例年以上に各方面より沢山のお参りを頂きました。
特に、市川真間山弘法寺の団参を始め、神奈川県三浦、茂原、大原よりの
団体の皆様、お参りを頂きまして誠にご苦労さまでした。

お話の中でも云いましたように、行事というものは来てくださる皆様があっての
ことであり、我々待っている者だけでは何事も事が始まるものではありません。
各方面、ご遠方、忙しい中・・・色々とある中で、来てくださる皆様にまず
「感謝」という気持ちを以て、七面さまにお経を上げさせて戴きました。

昨今、このおかしな世の中に・・・現在(いま)、自然が怒っています。
時として自然は、私達に驚異を見せ、私達の微力さを確認させ
ある時は、きれいな花や穏やかな川を観せ心身に優しさをくれます。
そのような、大きな大きな自然の中のひとつが、私達なのです。
現代にある文明の発達、そして人間の限りなく進む欲望によって
私達は沢山の進歩、発展がありました。
しかしその反面、大きな代償も数知れずありました。
いま、私達「人間」は、己の力を過信してるのではないでしょうか?
身丈5〜6尺、肩幅一尺少し、歩幅一尺足らずの私達の力といえば・・・

発進、進歩、変化、改革・・・などと乾ききった言葉を唱えている現代
私達はいつからか、自分自身に勘違いをして生きてきたかのかもしれません。
私達人間が、大事な何かを忘れてしまったのか 
大切な何かを失ってしまったのか、分かりませんが
今こそ、自身を省みる時ではないでしょうか。
今こそ、自身を見つめ直す時期ではないでしょうか。
今こそ、立ち止まって観る心が必要ではないでしょうか。

日蓮聖人曰く 「受け難き人身を受け 値い難き仏法に値い奉る」

人として生まれることのキセキ 仏さまのおしえに出会えたキセキ
現在(いま)自身が此処に有るキセキ・・・
キセキにキセキが重なって現在(いま)があります。
そのこと素直に受け止め、有難く感じて頂きたいと思います。

皆様のご健勝、ご活躍をご祈念申し上げます。
またのご来山心よりお待ち申し上げます。
合掌





1年があっという間に経ち 本年の大祭を無事に厳修できました
これも沢山の皆様のご協力と感じ感謝しています
各方面より足を運んで下さった皆様にも心より御礼申し上げます。

現代(いま)騒がしく乱暴な社会 寂しく虚しい世の中にあります
人々の足元は地に着かず 自身を顧みることを忘れ
時に 何のために今を生き 何に向かって生きているのか・・・
また何故今を生きるのかを心の何処かに感じながら日々を送っています。

法華経の教えは 
泥の水の中から美しい花を咲かせる蓮華のように 法華経の菩薩は世間の悪法に染まることはなく
と云う教えになります

「衆生の心穢るれば土も穢れ 心清ければ土も清しとて 浄土と云い穢土と云うも土に二の隔てなし
只我等が心の善悪によると見えたり 衆生というも仏と云うも亦かくの如し
迷う時は衆生と名づけ 悟る時は仏と名づけけたり・・・」

當に現代(いま)法華経の教えの如く 汚れた世の中に染まることなく 
白く咲く蓮華であるように生きて行きたいものです 
その一歩が 南無妙法蓮華経であります
七面山信徒皆様の心身の安泰を祈念申し上げます

またのご来山心よりお待ちしています
合掌






日曜日で天気も良く 多くのお参りを頂いて節分会を奉行することができました 
沢山の子供達も参加してくれました 素直な心と 素直な眼差しで 大きな声の
南無妙法蓮華経を唱えていた姿を見て 多くの大人の参拝者が感動をしました
来山した皆様の心にしっかりと残された とても尊いお土産になった事だと思います

家内安全 身体健全 厄よけ 病気平癒 開運吉祥 商売繁盛 交通安全・・・
本年も皆様 それぞれの祈願が多くありましたが 何を似っても 
心身共に健康であることを ささやかな願いとして
お話した「ささやか」と云う言葉・・・
現代(いま)のような騒々しい世の中 乱暴な社会だからこそ

ささやかな喜び
ささやかな願い
ささやかな幸せ
ささやかな暮らし
ささやかな人生
ささやかな・・・

ささやかな自身でありたい
そんな1年でありますように

今年1年も皆様が輝かしく そして穏やかな1年であることを
心よりご祈念を申し上げます
ご遠方よりの来山ご苦労様でした
合掌